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BOOK/『涙の理由』重松清・茂木健一郎著

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重松清といえば、「泣ける」小説を書く作家としても知られている。わたしが、ちょうど本屋でバイトしていた頃、『その日のまえに』が売れに売れていた。死んでしまった奥さんを悼む父子の話で、「感動」「涙」の売り文句で店頭に並んでいたことを覚えている。

この「泣ける」小説を書く重松さんが、超多忙な脳科学者・茂木健一郎と「涙の理由」について対談する、というのがこの本の内容だ。





しかし、3年に及んで繰り返されたという対談からは、なかなか「人が涙を流す理由」はくっきり見えてこない。カタルシスだとか、泣いている自分を客観的に見ることでかわいそうな自分に酔う、とか在り来たりなことは出てくるのだけど。いつもの茂木さんなら明快に「脳科学的には、泣くというのは・・・」と脳内における涙の仕組みを説明してくれるはずなのだが、予想外にも、茂木さんにも分からないらしい。脳科学的にも未解明なのだ。それだけ泣くということは、説明が難しい、人間ならではの高度な感情表現なのだと茂木さんは話す。

小説で泣くということに関して二人が繰り返し言うのは、『世界の中心で愛を叫ぶ』やyoshiの携帯小説が流行った頃から「小説で泣く」ブームがはじまったと。セカチューやyoshiでの涙は安っぽい、涙の叩き売りが始まったと批判する。

では、高貴な涙とは?それは、いろんな経験の中から生まれる「自分だけの涙」と二人は言う。(例として、清原が西武時代、日本シリーズで対戦した巨人に勝った瞬間の涙をあげる二人。)さまざまな経験をして人間的に深みを増したうえで、たった一度だけ訪れる涙、そういうのを目指したい。最後はそんな感じで終わった。

でも、涙に安っぽいとか、高貴とかって差を付けるのはどうかな。とも思う。わたしもセカチューにはまる人ってどうよ? みたいに思ってはいたけれど、泣くのは個人の自由だという気がする。 むしろ、テレビで「泣けるいい話」みたいなのを最近よくやっているが、視聴者の涙腺を安易に刺激するつまらぬ企画をする方こそ、安っぽさを感じる。「泣ける!」という帯を付ける出版社のやり方が姑息だ。都合の悪い部分をカットして、涙を誘うストーリーを勝手に作った事件のVTRを流すワイドショーが気持ち悪い。

結局、二人が行き着いたという涙の理由は私には分からず、なんとなく煮え切らない思いを抱えつつの読了だった。

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『涙の理由』
重松清・茂木健一郎著
宝島社
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by PFart | 2009-03-23 22:30 | BOOK